最高裁判所第一小法廷 昭和62年(あ)850号 決定
本籍
京都市山科区竹鼻西ノ口町一二番地
住居
同中京区油小路通御池下る式阿弥町一三七番地の三
御池ロイヤルマンション八階
長田悦子方
不動産取引業
高坂貞夫
昭和五年一二月一八日生
右の者に対する所得税法違反被告事件について、昭和六二年六月三日東京高等裁判所が言い渡した判決に対し、被告人から上告の申立てがあったので、当裁判所は次のとおり決定する。
主文
本件上告を棄却する。
理由
弁護人刀根国郎、同阿部正博の上告趣意のうち、憲法違反をいう点の実質は、単なる法令違反の主張であり、その余は、事実誤認、量刑不当の主張であって、刑訴法四〇五条の上告理由に当たらない。
よって、同法四一四条、三八六条一項三号により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。
(裁判長裁判官 佐藤哲郎 裁判官 角田禮次郎 裁判官 高島益郎 裁判官 大内恒夫 裁判官 四ツ谷巌)
昭和六二年(あ)第八五〇号
○上告趣意書
被告人 高坂貞夫
右の者に対する所得税法違反被告事件の上告趣意は、左記のとおりである。
昭和六二年九月四日
右弁護人 刀根国郎
同 阿部正博
最高裁判所第一小法廷 御中
記
第一点 原判決は、憲法第三一条及び同三八条第二項の違反があり、破棄されなければならない。
一、租税刑事法の責任刑法化実現の要請の徴表として懲役刑の実刑判決の言渡傾向がみられる。
本件の如き逋脱犯処罰の基本理念として、責任刑法を標榜するなら、憲法第三一条の大前提の下、審理の過程上被告人に保障されている諸種の権利が実質的に付与されなければなるまい。
憲法第三一条の具体化規定たる憲法第三八条第二項の権利を侵害することは許されるべきことではない。
二、ところで被告人は公訴事実そのものを認めており、一審、二審を通じて審理の中心は量刑事情の存否についてである。
その中でも、被告人が株式会社太平洋クラブから受領した仲介手数料二億円は、被告人から要求したものか、また被告人がこれを裏金として支払うよう要望したり、仮装させた事実があるか否かである。
三、原判決はこれらの事実を認め、犯行の悪質性を説示している。
しかるに被告人は第一審当初より公判廷において、これらの事実を否認している。原審においてもかかる事実の存在を否定する証人として豊田一夫外三名の証人尋問請求をしたが、いずれも不採用の決定がなされた。後記第三点において詳論する如く、原判決の理由を検討すれば、明らかに右申請に係る証人を採用する必要性は高かったものである。
にも拘らず申請に係る証人の全てを不採用と決定した原審の訴訟手続は、憲法第三八条第二項の保障する被告人の証人喚問請求権を侵害し、ひいては憲法第三一条の精神に違反すると言わねばならない。
よって原判決は破棄されるべきである。
第二点 原判決の量定は甚しく不当であって、これを破棄しなければ、著しく正義に反する。
一、第一審は「被告人を懲役二年四月及び罰金一億二〇〇〇万円に処する。未決勾留日数中五〇日を右懲役刑に算入する。被告人においてその罰金を完納することができないときは、金二〇万円を一日に換算した期間、被告人を労役場に留置する。」と判決し、原審はこの判決を支持している。
本件における被告人の手数料受領額は合計金六億円であるが、右判決によれば、本税、延滞税等の納付義務に加え、罰金支払義務を科され、その合計額は、被告人の実質的利益額をはるかに超過することになる。それに加えて、懲役刑を科されるのである。
二、ところで、逋脱犯に対する判決は、それまで直接国税脱税犯単独で懲役刑の実刑判決が言渡された例が皆無に近かったのであるが東京地判、昭和五五・三・一〇(判例時報九六九号一三頁)において約三〇年ぶりに実刑判決が言渡された。
右判決は上告審である最高裁判所第三小法廷昭和五八年三月一一日決定(判例時報一〇七三号一五一頁)で維持されている。
右判決の事案は、被告会社四社合計一一事業年度て逋税所得額脱税額約一二億四、九二七万円、逋脱税額約四億八、九〇九万円である。
これに対し右判決は、各被告会社に対し罰金刑を科した上、被告人に懲役一年六月の実刑を言渡した。
更に所得税額合計約七億二〇〇〇万円、逋脱税額合計約同額といういわゆる誠備グループ脱税事件についての東京地裁昭和六〇年三月二二日判決(判例時報一一六一号三二頁)は、被告人の一人に対し、懲役一年二月、罰金一億円を科している。
三、右の如き事案に比較すれば、当時の貨幣価値を抜きにしても、所得額、逋脱税額ともに右二事案より少額である本件について、第一審判決を維持した原判決の量定は甚しく不当であると思料する。
四、更に、第一審判決言渡後、原判決言渡前に被告人は資金を捻出して、本税金として三、〇〇〇万円を納付した。
国庫財源確保のため納付させることも租税刑法の目的である。
とすれば三、〇〇〇万円を納付した事実に対し、科刑法上評価されてしかるべきである。原判決は被告人のために斟酌すべき情状として右事実を判決理由中に指摘しつつも、結果的には右事実を評価せず、第一審判決を是認するにとどまっている。
五、以上の理由により、原判決の量定が甚しく不当であり、原判決を破棄しなければ著しく正義に反するものである。
第三点 原判決は、判決に影響を及ぼすべき重大なる事実の誤認があり、これを破棄しなければ著しく正義に反する。
一、第一点において既述のとおり、原判決は、量刑事情として、被告人が株式会社太平洋クラブから受領した仲介手数料二億円は被告人が要求したこと、また被告人がこれを裏金として支払うよう要望したり仮装させた事実を認定する。
そして右認定理由の補強として仲介手数料を支払う側と受領する側の一般的利益、必要性を挙示することによって右量刑事情の存在を推認し、認定の合理性を導き出している。
二、しかしながら、〈1〉原審は推認法則によって認定の合理性を補強せねばならない程に、右量刑事情の存否に疑いを抱いていたものと言えよう。そのうえ〈2〉原判決の右推認には合理性を見い出し得ない。
何故ならば、原判決は推認の基礎となる前提事実を、仲介手数料を支払う側と受領する側の一般的な利益、必要性の比較に求めているからである。ところが本件被告人がいわゆる平和相銀商法違反被疑事件の共犯として逮捕勾留された事実から明らかなとおり、本件においては、仲介手数料を支払う側に商法違反(共犯者中一人は公判係属中、他は有罪判決の言渡あり)の事実が存する。
支払う側に右犯行の隠ぺい工作の手段として裏金とする利益、必要性が存したことは想像に難くない。かかる特殊事情を無視して一般的利益、必要性を比較して推認法則を適用し、前記量刑事情を導き出すのは非合理的である。
かかる非合理性は、被告人側申請の四名の証人のうち一人でも採用し、尋問していたなら免れたはずである。
三、更に、被告人側が前記量刑事情の不存在を主張する証拠として宮崎一雄の検察官に対する供述調書部分や、被告人の検察官に対する昭和六一年七月二四日付及び同年八月五日付各供述調書部分に被告人の公判廷供述を列挙したのに対し、原判決は、「右宮崎の供述部分は伝聞にすぎないうえ右両名の供述部分は、手数料支払いに関する合意成立後の手数料受け渡しの日時、場所を連絡した昭和五七年一一月下旬ころと、手数料授受のあった同年一二月四日ころの際の出来事を供述しているにすぎ」ないとして右証拠価値を軽視する。それ故にこそ前記量刑事情を直接体験している証人として四名の尋問を申請した訳である。にも拘らず、一方で全て不採用と決定しつつ、他方で右の如き判決理由を付することは、殊更に被告人の防禦権を制限する審理方法であったとの非難を甘受せねばなるまい。
四、このように原審は、被告人側申請にかかる証人を採用し、尋問すべき必要性が存したにも拘らず、被告人の証人喚問請求権を侵害して審理不尽に陥り、その結果として前記量刑事情の存在を肯定するという事実誤認に連なってしまったものである。
右事実誤認は被告人の量刑に重大な影響を及ぼしたことは明らかであり、原判決を破棄しなければ著しく正義に反すると思料する。
以上の理由をもって上告した次第である。